| 赤とんぼがついと私の前を飛んで行った。薄く広がった白い雲が、空を美しい水色の和紙に変えていた。とてもキレイだと感じた私は、ふっと息を吐いて、空を見上げ立ち止まっていた。 すると、赤とんぼのように、私を追い越していく人がいた。 女の子のような華奢な影。でもその影は無口で、少しだけいい香りをさせていた。 彼はミキ。仲嶋樹也(なかじま・みきや)。私の兄。 ミキは私と同じバスに乗ってたらしい。家を出たのは私の方が随分早かったはずなのに、ギリギリまで寝ていたミキに追い抜かされるなんて、情けない話だ。 そして、声も掛けてくれないのは、少し辛い。 「お兄ちゃん」 私はミキの背中に声を投げかけた。 すると、ミキは振り向かずに立ち止まった。 「もうすぐ学校だ。声かけんなよ」 ミキは低い声でそう言うと、またさっさと歩き出した。 兄妹そろって同じ高校というのは珍しくない。私立だから、そういう家庭は多い。ミキは2年5組で私は1年3組だった。北側の校舎は、2階が1年、3階が2年で、2年の話はよく聞こえてくる。 だから、ミキがすごくモテてることも知っている。 ミキのどこがそんなにいいのか、友達に聞いてみた。すると、彼女たちは口を揃えて言った。 「笑顔」 ミキの笑顔は、幼くて優しげで、ドキっとするらしい。 私はこの高校の付属幼稚園からここに通っているが、ミキは今年の春転入してきたばかりだ。 そう、ミキは私の父が再婚した女性の息子。私と血のつながりは無い。 だから、最初、私もミキの笑顔にドキっとした。本当はそのままずっとドキドキしている。どんな表情にも。 私は散々断ったのだが、クラスの友達に頼み込まれて、2階のミキのクラスに友達を連れて行くことになった。 教室の隅の席で、ミキはダルそうに教科書をめくっている。遠巻きにクラスの女子生徒が彼を見つめている。廊下からは私たちがミキの姿を見つめていた。 私に気付いたミキは突然立ち上がった。 そして、教科書を机の上に放り出すと、廊下に出て、私の腕を掴んで引っ張って行った。 私はどうしようもなく、ミキに連れ去られるまま、階段を降り、廊下を歩き、西側校舎の裏までやってきた。 ミキはそこでやっと手を離してくれ、私の顔を睨みつけた。 「ウザイ」 ミキはそう言った。 「でも、友達が……」 「これ以上冷やかしに来るなら、俺は学校を変える」 私は唖然として、慌てて取り繕った。 「わ、わかったから。ちゃんと友達には言う」 「よし」 怖い。本当に、怒ってるんだろうな。 最近は、あまり笑顔もなくて、苦痛をしょってる。 ごめんね、ミキ。 それでも、仲嶋樹也という人を自慢せずにいられない。 彼はお母さんに似てとても綺麗な顔をしていて、Tシャツとジーパンでいても十分かっこよくて、体育の授業ではいつもお手本をさせられるほどなんでも出来て、そして、勉強も国立大が狙える範囲にいるらしい。 頑なにまで、男子とだけ会話し、ホモなんじゃないかっていう噂がたつくらい、女子を寄せ付けない。 それはよくないよって私が言ったら、ミキは、 「話すことが無い」 と言って、その話題を強制終了させた。 せっかくモテるのに。選び放題なのに、ミキは女子に騒がれるのを毛嫌いする。 生真面目なのかと言えば、別にそうでもない。 授業をサボることも多いし、先生がかわいがろうとするのに無視したりする。 よくわからない人だった。 ただ、男子と話をしているとき、じゃれあっているとき、ボールを蹴っているときの楽しそうな顔はとてもいい。 必死だったり、余裕の笑顔だったり、人のギャグに突っ込んでみたり……。 私はふと思う。私、どれだけミキを見てるんだろうって。家の中で見れないミキの顔を探してる。いつも。 そして、必ず、ミキと目が合ってしまう。 運動場にいるミキは、私を見つけて、一瞬にして怖い顔になる。 なんで。 そんな怖い顔ばかり。 家に帰ると、ミキが出かけるところだった。 「どこ行くの?」 ミキは何も言わず、チラと私を見ただけで、バイクに乗って行ってしまった。 部屋に入って、ミキのお母さんに聞いてみた。 「ミキ、あ、お兄ちゃん、どこに行くの?」 義理の母は、困った顔をした。 「さあ……。最近あまり口をきいてくれないの。前は何でも話してくれたけど、反抗期なのかしら」 反抗期? まあ、いままでミキはおとなしく母親思いの子供だったんだね。 今日は、私の父の誕生日だった。だから、ミキのお母さんは一生懸命料理をして、テーブルいっぱいに並べてた。私も手伝った。 8時半ぐらいに、父が帰ってきて、その料理にとても喜んでいた。 ただ、ミキがいなかったことは、とても気になったみたいで、ミキのお母さんに何度も携帯で連絡を取るようにと言っていた。 でも、ミキは結局電話に出なかった。 私たちは三人で食事を終え、ささやかなプレゼントを差し出した。 「樹也、彼女でもできたのかな」 父が笑いながら言った。 私は笑えなくて、遠く窓の外を見ていた。 レースのカーテン越し、大きな月が白く輝いていた。ミキはいつ帰ってくるのかな。どこにいるのかな。 私は寝る用意をして二階の自分の部屋に入った。するとしばらくしてバイクが止まる音がした。ミキが帰って来た。12時を過ぎていた。 私はドキドキしながら、ベッドの中で耳をすましていた。 ミキが鍵を開けて家の中に入るのがわかる。そこから先の音は聞こえない。 私は30分以上静かな夜の中で、ミキが二階の彼の部屋に戻ってくるのを待っていた。 気がつくと、私の部屋の扉がそっと開いて、ミキが入ってきていた。 「ミキ……」 ミキは風呂上りの濡れた髪のまま、私のベッドのそばまで来ると、無言のまま、私にキスをした。 「辛いよ」 ミキが言った。 私は黙って、月明かりで青白く光るその顔を見つめていた。 「なんで兄妹なんだ」 「俺はお父さんの顔が見れない」 そして、少し震えながら、それでも私の唇を求めた。 私はミキの髪を撫で、彼をそっとベッドへ導いた。 真上から、ミキは私を見下ろしていた。ミキの体の下になり、私の中で静かな感情が燃え上がるのがわかった。 「こんなの嫌なんだ。空の下で手をつなぎたい」 絞り出すようなミキの声。いとおしくてぎゅっとその手を握った。 ミキの髪の滴が私のほおに落ちた。 私の体にすべてを預けて、チカラを失くしてゆくミキ。私はその心ごと、そっと抱きしめてあげたかった。 「好きだよ」 私はつぶやいた。 この気持ち、肯定していいはず。 きみがすき。 きみがすき。 とてもすき。 「気が狂いそうだ」 ミキはそう言った。 濃い情念に埋もれていく快感。 きみがすき。 <end> |
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