| 「そっと掴んだのに 崩れて零れ落ちそうな 君という宝石 僕は握り締めたくて仕方なかった 僕が君を壊そうとも」 ノートパソコンに映る小さく黒い文字は、和田海來(わだ・みらい)のお気に入りだった。 大好きなサイト"NEXT BLUE"の新しい作品を眺めては、ため息をついた。もし、自分にパソコンを操る才能があれば、描き溜めた絵を集めてホームページを作り、そして、この詩を書いた人にお願いをしたいと思った。 どうか、私の絵に詩をつけてください。 海來は高校のときから付き合っている真木野志優(まきの・しゅう)に電話をかけた。 「あのさあ。今度の日曜、ヒマ?」 志優はきょとんとした声を出した。 『ヒマなわけねーじゃん。オレ、日曜はサッカーで忙しいの知ってんだろ?』 「あ、ああ。そうだよね」 『オレさあ、毎日激務なの。帰り1時過ぎてんだぜ? 土日くらい休ませてって感じなのにさー土曜は出勤、日曜はサッカー、もうどうにでもなれって』 「うん。そだね。体、気をつけてね」 『おー。海來は元気かあ?』 「うん。元気」 海來は思った。嘘をついてやろうかな。しんどいんだって。苦しいんだって。病気なんだよって。そしたら、心配してくれるかな。 志優とは、もう二ヶ月以上会っていなかった。 今度の日曜は、志優の誕生日だった。高校からだから、もう8回目になる。海來は志優と一緒に23歳の誕生日を祝いたいと思っていた。 でも、今の志優は、誕生日も忘れるほど、すごいスピードで毎日が動いてるんだなと思った。そのスピードに、海來はついていけない。ひとり置いてきぼりだ。 毎年、一枚、海來は志優にプレゼントとして絵を描いてあげていた。最初の頃はすごく喜んではにかんでいた志優だった。そこには、志優の笑顔があったから。 毎年誕生日が来るごとに、そのポートレートの中の志優は表情を変えていった。元気な笑顔から優しい笑顔へ、そしてよそをむいた楽しそうな笑顔。もうそれくらいしか、海來は思い出せない。自分が描いた絵なのに、あまり印象が無い。 志優の笑顔を描かなくなったからだろう。 今年の絵も、志優が座って遠くを見ている絵だった。もう海來は彼の表情を描けなかった。笑顔が描きたいのに、海來の前で志優が見せてくれるのは、疲れた顔ばかりだったからだ。 海來の高校からの女友達が、こんなメールをよこした。 <ねえ、ミライはあの詩のサイトの人と会いたくない?> 海來は驚いて目を疑った。その女友達は、パソコンに詳しくて、いつもチャットやカキコミやSNSなんかで友達を作っていた。 <"NEXT BLUE"のシンタさん?> <そうだよー。あたし、知ってるから会わせてあげるよ> 海來は胸が高鳴るのを感じた。 今まで、志優と会うときだって、こんなにドキドキしたことはない。 そういえば、シンタさんの出身地はすぐ近くの地名が記されてあった。会うこともできる人なんだ。 「会いたいのに 僕は言い訳を作って 君に背を向けてる 会いたいのに その絆を信じるフリして 試してる」 新しい詩がアップされた。海來はそれを読みながらシンタという管理人を想像した。 シンタさんの詩が誰に向けられているのかわからない。友達が言うには、彼女はいないらしい。でも日記には、それとなく好きな人がいるようなことが書かれてあったのだが。 それでも、興味は抑えきれず、海來はシンタと会うことにした。 志優にプレゼントするポートレートを持って、これに、詩をつけてくださいとお願いしようと思っていた。 夜7時、海來が指定された創作料理の店に行くと、友達と一人の男性が先にテーブルについて待っていた。 「こっちよ、ミライ」 海來は、おずおずとそのテーブルにやってきた。男の人はそっと立ち上がり、笑顔で海來に会釈した。 お、おとなだ。 海來のシンタへの印象は、そんな感じだった。 志優のいつまでたってもやんちゃでメチャクチャな性格を思うと、シンタは遥かに落ち着いた大人の男だった。 だから、だ。 だから、詩を書けるんだ。自分に厳しく、そして愛を請うような、寂しさや弱さや脆さを、詩にできるんだ。 海來は、すぐにシンタと打ち解け、友達が帰ったことも気にせずに、2人の時間を楽しんだ。 海來は志優の姿絵を出して、シンタに言った。 「お願いがあるんです。この絵に詩をつけてくれませんか」 シンタはその絵を見て、しばらく絶句していた。 「これ、君が描いたの?」 「はい」 「この男の人は誰?」 「えと……友達……というか、親戚です」 「ええ? どういう関係?」 「いえ、別に何も。誕生日のプレゼントなんです」 「そう」 シンタはその絵をサッとカバンにしまい込むと、 「じゃあ、次までに考えてくるよ」 と笑った。 気がつくと、海來はホテル街を歩いていた。シンタがしっかりと海來の肩を抱き、離そうとはしない。 優しい笑顔。憧れの人。何も文句は無い。 でも、海來は胃が痛くなった。 志優を裏切るの? ねえ、志優とサヨナラするつもりなの? 「あの、今日は父が心配してるんで、帰ってもいいですか?」 海來は喉の奥から声を絞り出すようにして言った。 「え? だめだよ」 シンタは意外にも意地悪な瞳をした。 「あの、ごめんなさい。やっぱり帰ります」 海來は訳がわからなくなって、早口で言って、シンタの腕から逃げようともがいた。すると、シンタは腕を離すと言った。 「じゃあ、次はこのホテルで会おう。そのとき、さっきのポートレートも返すから」 シンタは目の前のホテルを指差した。 海來はその言葉の意味を考えながら、駅に向かって思い切り走った。 志優にあげるはずの絵を、取られちゃった。 いや、どうせ、志優はあんな絵のことなんか、なんとも思ってはくれてない。誕生日だって、会ってくれないみたいだし。 私のことは、もう志優にとっては、必要無いのかも。 そう思うと、足は自然に速度を落とした。 志優に描いた8枚のポートレート。私の心を乗せて、精一杯あなたを見てるよと告げていたのに。8枚目はもう、渡せそうに無い。 「失ってから気付くのかな 僕はそんなにバカなのかな どうしようもない現実が 僕を圧し潰して 君に助けを求めても もう届かないのかな」 海來が家に帰ると、もう"NEXT BLUE"には新しい詩がアップされていた。 海來は、シンタに対して持つ感情とは裏腹に、詩が求めてくる想いに感情移入してボーっとしていた。 そんなとき、携帯が鳴った。 志優からだった。 『日曜、夜だったら時間つくるよ』 「うん」 答えながら、海來は、志優への想いが色を変えていくのに気付いてしまった。今は昔のように純粋に好きだと言えない。 記念日でしか、繋がらない2人なんて、恋人って呼べるのだろうか。 「ごめん……、日曜は用事ができた」 志優は一瞬黙っていたが、 『そか、わかった』 と言って電話を切った。 終わるのかな、そう海來は心の片隅でつぶやいた。 翌日、シンタを紹介してくれた友達が、海來に電話をかけてきた。 『シンタとうまくいった?』 「どうだろ」 海來はあの人に逢いたいと思えないのはなぜかなと考えていた。 『次のデートは?』 「わかんない」 『えー』 その友達はどこまで世話を焼かせるんだと言わんばかりに、シンタの携帯の番号を口にし始めた。 「待って、待って」 『何よ』 「私、志優と付き合ってるから、デートは……」 『なんだ、まだ付き合ってたんだ』 「まだって……。それに、あの人はちょっと……」 『あんたの憧れの人でしょ?』 そう言われても、海來はあの人がシンタだとは思えなかった。なんとなく感覚が違う。詩が持っているまっすぐさが全然伝わって来ない。 すると相手は電話口で笑っていた。 『バカねー。志優がどんだけの子と遊んでたと思うの? 海來知らないだけで、ずっと裏切られ続けてんのよ。今更さあ、相手と別れるとか関係ないよ。海來も遊んでやればいいんだよ』 海來はその言葉を聞いて、体が重くなってゆくのを感じた。 「遊ぶとか嫌だ。仕返しなんて嫌だよ」 血が下がってゆく。涙が一筋だけ流れた。 『海來……』 海來は電話を切った後、ベッドに倒れこんだ。 「そうかあ」 志優。そうだったの? ずっと見つめていたのは、私だけ? 寂しいと思っていたのは、私だけ? 別れが来るのが怖かったのは、私だけ? 携帯にメールが来て、海來は目が覚めた。 そして志優からのメールを重い気持ちで開いた。 <ポートレート楽しみにしてる いつもオレ、もらってばっかだから、 今年はちゃんとお返しするから> そんなこと言われても知らない。 もう信じない。 誰の言葉も、嘘だって思っていたい。そうすれば楽だ。 シンタのサイトは、しばらく詩をアップしていなかった。 もうあれきり、海來はシンタと会うことはなかった。でも、なんとなく、"NEXT BLUE"のサイトを覗いていた。 日曜の夜。志優から、またメールが来た。 <恋しいんだ 逢いたいんだ 海來を愛してる> 海來は見なかったことにした。嘘なんだ。ほかの子と付き合ったりして、私を傷つけてきた人なんだ。 ちょうどそのメールを消そうとしたとき、例の友達が海來を訪ねてきた。 「夜にどうしたの?」 玄関で驚く海來に、友達は深々と頭を下げた。 「あのさ、これ、返しに来た」 彼女が手に持っていたのは、ボロボロになった志優の絵だった。シンタが持って帰ったはずの。 「あのね、あの人さあ、海來に会わせた人ね、シンタじゃないの」 「ええ?」 海來は複雑な顔で友達を見た。 「海來が、ほら志優なんかと一緒にいるのがかわいそうだから、ほかの彼氏作ったらいいんじゃないかなって思って」 「志優なんかって……」 「だってそうじゃん。ほとんど彼女を喜ばせるようなこと何にもしないで、仕事だサッカーだって、いつも海來寂しそうだったじゃん」 海來は友達の口から、志優をけなされることに怒りを持たずにいられなかった。 「じゃあ、あれは志優と別れさせるためのお見合いみたいなもんだったんだね」 「そんなかんじかな」 「サイテーだよ」 海來はその友達から、8枚目の志優の絵を奪うと、抱きしめた。 「ごめん。悪いなと思ったから、だからその絵、取り返して来たんだあ」 いくら友達が言っても、海來は首を横に振った。扉を閉めた。友達の顔をもう見たくないと思った。 部屋に戻った。 パソコンに、救いを求めていた。"NEXT BLUE"にアクセスした。 この管理人のシンタさんは、あの男じゃなかった。そう思うと、少し嬉しかった。しばらく新しい詩のアップが無いのが寂しいけれど、シンタさんは別の世界にちゃんと存在する。私と同じ倫理観を持って、切ない気持ちを抱いている、そんな人がちゃんといるんだ。 志優の絵を、海來は破ることが出来ずに、引き出しにしまった。 しばらくして、もう一度サイトを覗いてみると、嬉しいことに新しい詩がアップしてあった。 「ほら 輝いてたろう 歩いてきた路 ほら 続いてくだろう 僕らの未来・・・ (そして、まだ終わらずに大きな改行の後、言葉は続いた) 恋しいんだ 逢いたいんだ 僕は ミライを愛してる 私信 プレゼントはこの言葉 ポートレート待ってます」 そして、海來の携帯が震えた。 志優からの、いやシンタからのメールだった。 <見て欲しいサイトがあるんだけど、 海來、今ネット見れる?> <end> |
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