Love or Happy
2
「加川さん、来週の金曜日、お暇ですか?」
お昼休み、自分の席でコンビニ弁当をちまちまつついていた私は、向こうの机から聞こえてきたその声に思わず耳をダンボにした。
加川さんの机の脇に立っているのは、この支店のアイドル中込舞ちゃんだった。
舞ちゃんはまだハタチそこそこで、いつもお姫様みたいな可愛らしい服装で、絵に描いたような「職場の花」というやつだ。同じ担当になったことがないので仕事の出来は知らないけれど、あまり良い噂は聞かない。
良い噂を聞かないのは、女のひがみもあるのは分かっているけれど。
「なに?」
加川さんはいつもの調子で、舞ちゃんの方を見もしない。私だって、仕事の話をしていても加川さんと目が合ったことなんてない。
「ボーリング行くんです。ナースの友だちが医療関係の知り合いを連れてくるんですけど、私の方も何人か一緒に行ってくれる人探してて。どうですか?」
つまり、合コンでしょ。
加川さんを誘ってしまうあたりが、舞ちゃんの底知れなさだった。
絶対、行くはずがない。
仮に、何かの間違いで加川さんが行くと言ったとして、これだけ人当たりが良くない人を連れていったら、舞ちゃんの評判だって良くなくなるよ、と思う。なんでこんな奴連れてくるの、って思われる。
しかも、指輪付きで。
「いや、悪いけど、他当たってくれないかな」
一秒も考える間なく、加川さんの返事は、ノーサンキュー。予想どおりだ。
私は、お弁当の漬物をつつきながら、そちらの方をなるべく見ないように耳だけで様子を窺った。
「何か、御用事ですか?」
「いや、別に。そういうの興味ないだけ」
「御用事がなければ、私を助けると思って来ていただけませんか?」
舞ちゃんは、意外に粘っている。
これまで加川さんを誰かがプライベートで誘っているのを私は見たことがない。どうせ断られる、と、みんなが思い込んでいる節があった。
そういう人に、舞ちゃんがここまで食い下がるのは、どういうことなんだろうと、私はふと思う。
こんな人を好きになるのは私だけだと思っていたけれど、案外、そうじゃないんじゃないかと、今さら気が付いた。
誰も振り向かないような人なら、きっと私だって振り向かなかったはずだから。
「君を助ける理由がないよ」
加川さんはそう言い、舞ちゃんは、さすがにそれ以上は食い下がらなかった。
君を助ける理由がない。
舞ちゃんがそう言われたことが、私はひそかに少し嬉しく、でも同時に、同じことを私がお願いすれば、おそらく私にも同じ言葉が投げかけられるだろうことを思うと、少し胸が痛んだ。
そっと加川さんの席の方を見遣ると、舞ちゃんが傷付いたような顔をして立っていた。
「加川さんて、謎ですよね」
舞ちゃんがそうつぶやくように言ったのは、お昼ごはんを終えて、私が洗面所で歯を磨いている時だった。
鏡の前で化粧直しをしていた舞ちゃんは、口紅をポーチにしまいながら、隣の私を見上げてくる。くるくるした大きな目は、真意を読みとろうとするにはあんまり可愛すぎた。
女性に人気がない理由が良く分かる、と、思ってしまう。
「難しい人だよね」
私は、ハブラシをくわえたまま、当たり障りなく答えた。
「私、フラれちゃいました」
「さっきの、金曜日の?」
「はい。きっぱりはっきり」
あーあ、とため息付きで。
「きっと誰が誘っても断ると思うよ。誘った舞ちゃんがすごいと思う」
私が、これは素直な感想として、ふがふがとそう言うと、舞ちゃんは苦笑した。苦笑いの表情を作ると、可愛らしい顔の造りが途端に大人になる。小悪魔だなあと思った。
「私も、たぶん断られるだろうなとは思ってましたけど。一回、一緒に飲んでみたいんですよね、加川さんと」
「……なんで?」
全然、楽しくないと思うよ? と、失礼なことを考えていたら、舞ちゃんの口から、予想外の返事が返ってきた。
「あの人、絶対エッチ上手だと思います。顔良くて頭良くてスタイル良くてうまかったら、多少人格が駄目でも、私は気にしませんもん」
口の中に溜まった歯磨き粉を、全部飲み込みそうになった。
なんだこの子。
私があわあわしているうちに、舞ちゃんは身支度を整え、鏡の中から私を見た。
「うまいはず、っていうのは、単なる女のカンですけどね」
鮮やかに笑って、舞ちゃんが洗面所を出ていった後、私は、しばらく動揺したまま無意味に歯を磨き続けていた。
「上手とか下手とか、考えたこともないですよ私! なんなんですかあの子!」
ひいきにしている居酒屋で後藤先輩に訴えたら、先輩はいたって冷静な顔だった。
「考えたこともないっていうのは、あんたが清純派目指しすぎでしょ。中込がそういう子だっていうのは去年くらいから噂聞いてるし、何をそんなに動揺してんのよ」
今日、お昼休みの後、事務室に戻っても私は一日中、加川さんの方を見ることが出来なかった。
別に、私が加川さんの方を見られなくなる理由なんて、どこにもない。でも、加川さんの姿を視界に入れてしまったら、きっと舞ちゃんのあの言葉がよみがえってきて、そして想像してしまうに違いないと分かっているから。
加川さんに、何かされている自分を想像するなんて、そう考えただけでもうめまいがしそうだ。今後絶対、加川さんのことを正面から見られない。
見るたびに「うまいはず……」なんて心の中でリピートしてしまうのは、申し訳なさすぎる。
「だって、本当にびっくりしたんですよ! 加川さんのことをそういう目で見てる人がいるなんて考えたこともなかったし、私だってそんな風に見たことないのに」
泣きそうになってそう言ったけれど、先輩は冷たかった。
「私があんただったら、今まで気が付かなかった魅力を教えてくれてありがとうくらいは思うけど。だいたい、そんな風に見たことないって、じゃあどういう風に見てたの」
「どういう風って」
「だって加川が好きなんじゃないの? 好きなら、加川とどうなりたいかとか考えるんじゃないの? 体の結合ってある意味一個のゴールでしょ。それを今まで考えたこともないとか、まさか真顔で言う訳だ」
……真顔で言えます。
私はほとんどふてくされて、机の上の冷や奴に割り箸を突き刺した。ざくざく二等分して、半分をごっそり自分の皿に確保する。残りは器ごと先輩の方に押しやった。
私が返事をしないので、先輩は、やれやれとため息をついた。
「あんたさあ、もっと大人になりなよ。そしたらもっと楽になるよ?」
「もう充分大人です」
そう答えたけれど、自分が全然大人じゃないことなんて良く分かっている。
私はきっと、いまだに恋に恋しているんだろう。そうじゃなければ、滅多に言葉も交わさない同僚のことなんて、とっくの昔に諦められているはずだから。
愛想がなくて、意味深な指輪をしていて、絶対望みがなさそうな相手のことを、半年想ってまだ何のアクションも起こしていなくて、ただ見ているだけ、時々仕事で言葉を交わすだけで幸せ、なんて、そんなの子どもの初恋以外の何物でもない。
大人になったら、冷静に考えられるんだろうか。
この恋が成就する確率と、それまでに負うに違いない傷の深さと、もし成就した時に自分がどうなるのかと、それらをトータルで考えた時にこのままでいていいのかどうか、全部冷静に判断が出来るようになるんだろうか。
「中込の方が、考えなしだけどまだ大人だよ」
先輩が、冷や奴をつつきながら、そう言った。
私は返事をしなかった。
たとえば、奇跡的な確率で、私と加川さんがうまくいったとして、それで私は幸せなんだろうか。あんな人と、ちゃんとコミニュケーションがとれるんだろうか。指輪の理由を聞けるんだろうか。不安と不満でいっぱいになるのなんて分かり切っている。
ちゃんと人間関係をつくることが大変だとして、じゃあ舞ちゃんのように、体のつながりがあればいい、と考えることも、私には出来ない。別に、加川さんに抱かれたい訳じゃない。そんなこと考えたこともない。
……私、なんで加川さんのことが好きなんだろう。何を求めているんだろう。
自分でも良く分からない、と思った。
私は、先輩の言葉にいちいち反発しながら、普段の倍くらいのアルコールを流し込んでしまった。二時間後にはすっかり足腰が立たなくなり、先輩にタクシーで送ってもらうというおまけまで付いた。
翌日、二日酔いで私は仕事を休んだ。
本当に、どこが大人なんだ私。
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